思えば、「なんかで、BIGになる」と高校の卒業文集に書いてから、虎視眈々と、自分が何が周りより優れてるか?秀でることができるかと模索し続けて、お笑いもやりました。俳優にも挑戦。行き着いた先が、歌を歌うことでした。
歌うことは好きでしたが、特に、学園祭で歌うくらいしかしてなかったのですが、21歳のころ、広島の「流れ川」という、飲み屋街で「流し」をやっていました。
これは、自分の歌が、どれだけ通用するかとか、音楽で飯を食うためにとか、微塵も思っていなく、結構、ギターケースを広げていると、お金を入れてくれる人が多く、週に2回は、後の「ハイカラ」というユニットの相方と、一緒に歌っていると、リアルに3万~4万は儲けていて、いいおこづかい稼ぎでした。。
転機は、いつも飲みに行ってた店のマスターに、「今度こんなラジオのコンクールがあるから出てみれば?」って言われて、自分たちの曲を作ったのが始まりでした。
歌詞も、曲も作ったことなかったけど、なんかわけのわからない自信があって、予選の審査もパスして、本選へ。。今考えると、俺たちが一番下手だったけど、「たいしたことねえな」と本気で思っていて、確実に優勝やと思っていました。このコンテストは、プロのミュージシャンや、レコード会社の人が審査員で、(今考えるととても胡散臭いコンテストですが)優勝者にはCDデビューと、さらに輪をかけてインチキ臭いコンテストだったのですが、「うちら、もうすぐ、デビューやな!これでHEY!HEY!HEY!出れる」と本気で思っていました。
このコンテストは、本選に出た人は公開ラジオで、曲を歌うってことになっていて、俺たちの出番。。当時楽譜を見ながら、歌詞も歌っていたので、セッティング。。外でのコンテストだったけど、その日台風が来ていて、風がぴゅーぴゅー。司会者の人が「では次の組、ハイカラさんどうぞ!」さあ、歌いはじめたら、楽譜がぴゅーぴゅー!途中でやり直すってこともできずに、演奏は止まるは、歌詞は忘れるは、電波にのって、曲なのかさえわからないものが、電波にのって、もちろん何ににも選ばれず、惨敗でした。。
もうそこからは、絶対!うまくなって、あの日苦笑いしてた、あの司会者や、ミュージシャン達を見返してやろうと、練習して、お金をもらうのもやめて、ひたすら、町の人に聞いてもらうために、下駄に割烹着、相方は、冬でも半袖って格好で、歌っていたら、地元の学園祭から声がかかり、気づけば、次にやる路上ライブは、今までのお客さんの倍になっていました。。
そこからは、やれ、ラジオだのテレビだの、おもしろがって誘ってくれたので、広島で一番客のいる路上ミュージシャンになってました。。最後の路上ライブは野鳥の会集計で800人
そこから、相方に会社を辞めさせて、「東京で成功する!」と、なんの根拠もなく思い、自分たちでカセットテープで録音して、東京まで、ライブしながら行ったわけです。
人間調子に乗ると、すさまじいパワーを発揮するもんだと、でも、それがないとイカンのだと、この年になって思います。。
以降は、プロフィールに書いたとうりです。
プロフィール ◆ サスライメイカー[磯部俊行] 出身地:山口県
1998年 広島でフォークユニット「ハイカラ」結成
2000年 全国を路上ライブしながら周り上京
1 stアルバム「ハイカラなひととき」全国発売
路上ライブで北海道~沖縄まで一ヵ月半で周り3,000枚完売
2001年 ワンマンライブ250人動員(渋谷ネスト)
2003年 2 ndアルバム「ハイカラな皆様へ」発売
2003年 冬 ハイカラ解散
磯部作曲活動を経て
2004年 YS-11結成 1 stアルバム「LAT35N」全国発売
全国ツアー6ヵ所を周る
ワンマンライブ150人動員(ライブハウス乙)
2005年 YS-11解散
2006年 サスライメイカー結成
自主制作「サスライメイカー01」がオリコンスタイル最優秀作品に選ばれる
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